予約する前に、みんなが調べること
長崎は何日必要ですか。
長崎は2日が必要です。1日は平和公園と原爆資料館に、もう1日は出島と中華街、大浦天主堂、グラバー園に充て、稲佐山の夜景で締めくくります。3日目は軍艦島へ渡る船のために。上陸できるかどうかは、海しだいです。
長崎のベストシーズンはいつですか。
10月と11月 — 澄んだ秋の日と、大祭. 3月から5月 — 斜面の春.

日本、九州地方
長崎ほど、坂の1つ1つに歴史が詰まった街は国内にほかにありません。16世紀には、ポルトガルの商人とイエズス会の宣教師がやって来ました。日本が国を閉ざした2世紀のあいだは、港に築かれた小さな人工の島、出島のオランダ商館が、ヨーロッパへ開かれた国内で唯一の窓口でした。その隣にいた中国の商人たちは、中華街と寺を残しています。250年にわたって禁じられ、ひそかに守られてきたキリスト教の信仰が表に出たのも、この街です。そして1945年8月9日、長崎は原爆で壊滅した2つ目の、そしていまのところ最後の都市になりました。長い港を囲む急な斜面に築かれた街ですが、路面電車のおかげで見た目よりずっと回りやすく、2日か3日をかける価値があります。
長崎は2日が必要です。1日は平和公園と原爆資料館に、もう1日は出島と中華街、大浦天主堂、グラバー園に充て、稲佐山の夜景で締めくくります。3日目は軍艦島へ渡る船のために。上陸できるかどうかは、海しだいです。
10月と11月 — 澄んだ秋の日と、大祭. 3月から5月 — 斜面の春.
長崎の冬は穏やかで、夏は暑く雨が多く、6月から7月の梅雨は国内でも指折りの雨の多さです。狙い目は春と秋。10月初めの秋の大祭には街じゅうが埋まり、軍艦島への船を左右する海は、台風の季節を外せばいちばん穏やかです。
澄んだ秋の日と、大祭
穏やかで乾いて空が澄み、海も落ち着いて端島への船が出やすくなります。長崎の総氏神、諏訪神社の秋の大祭・長崎くんちは10月7日・8日・9日で、中国伝来の龍踊りや飾り立てた曳物が街を埋めます。日付は毎年固定で、ホテルは売り切れます。11月は人出が落ち着き、同じくらい快適です。
斜面の春
穏やかな日が続き、桜は3月の終わりか4月の初めに咲き、5月には斜面がいちばん青々とします。開花の時期は毎年動きます。5月の連休には、全国から人が押し寄せます。5月の終わりに近づくにつれ、雨の日が増えていきます。
強い雨、そして夏
ここの梅雨は長く激しく、6月から7月中旬まで、交通を乱すほどの大雨が降ることがあります。明ければ暑さがやって来ます。値段は下がり、名所は空いています。
暑さと原爆の日と、台風
暑く蒸し、8月から9月にかけては台風の恐れがあって、来れば船が、ときには列車も止まります。8月9日には平和公園で原爆の犠牲者を悼む式典が開かれ、街じゅうで黙祷が捧げられる厳かな1日になります。8月中旬にはお盆が続き、死者を送る精霊流しの船が通りを進みます。
穏やかな冬と、ランタンフェスティバル
涼しく曇りがちですが、寒くなることはまれで、1年でいちばん静かな季節です。旧正月のころ、1月下旬か2月に開かれるランタンフェスティバルでは、中心部に何千ものランタンが2週間にわたって灯されます。日付は旧暦に合わせて毎年動き、その時期はホテルが埋まります。
街そのものは2日で回れます。1日は原爆が落ちた北部に。平和公園と原爆資料館と爆心地、そして近くに再建された浦上天主堂です。もう1日は南部と港に。オランダ商館の出島、新地中華街、西洋の商人たちが暮らした丘の庭園グラバー園、そして現存する国内最古の教会、大浦天主堂。最後は港の向こうの稲佐山に上り、夜景で締めくくります。
3日目は海のために。港からは、軍艦島の名で知られる無人の炭鉱の島、端島へ船が出ていますが、上陸できるかどうかは天候しだいです。最初の船が上陸できなかったときのために、半日を空けておいてください。その半日は、雲仙の温泉や、佐世保近くでオランダの街並みを再現したテーマパーク、ハウステンボスに充ててもかまいません。
長崎は、細長い谷と、深い港を囲む斜面に広がっています。家々は段々になって丘を上り、車の入れない急な階段と路地がそれをつないでいます。谷底の平らな土地を路面電車と大通りが走り、街は谷に沿って南北に延びています。
路面電車がどの地区もつないでいるので、選ぶ基準は夜の過ごし方と眺めです。いちばんにぎやかなのは中心部、いちばん便利なのは駅、いちばん美しいのは丘の上。ただし丘には、階段がついてきます。
10月初めの秋の大祭・長崎くんち、旧正月のころのランタンフェスティバル、そして原爆の日の8月9日の前後は、ホテルが埋まります。
| エリア | 向いている人 | ただし |
|---|---|---|
| 長崎駅周辺 | 列車や空港バスで着いて発つ人に。どこへ行く路面電車も目の前から出ます。 | これといった個性のない新しい地区で、夜に旧市街へ出るには路面電車に乗ることになります。 |
| 浜町・思案橋 | 夜の中心。アーケード街も中華街も、思案橋の飲み屋街も歩いて行けます。 | 夜は飲み屋のまわりが混んで騒がしく、ホテルはほとんどが簡素なものです。 |
| 南山手と港 | 港の眺め、古い洋館、そして数歩先に大浦天主堂。 | 急な坂道と階段ばかりで、夜に開いている店はわずかです。 |
| 稲佐山 | 港を見下ろす高台のホテルで、窓から夜景が見えます。 | 中心部から遠く、出かけるたびにバスかタクシーで山を下ることになります。 |
福岡からの新幹線は、2つに分かれています。博多から武雄温泉までは特急リレーかもめ、そこから長崎までは短い西九州新幹線で、乗り換えは同じホームの向かい側です。全体で1時間半ほど。長崎空港は市の北、大村湾に浮かぶ島にあり、市内まではバスで1時間足らずです。
移動の主役は路面電車です。古い車両も新しい車両も走り、駅、平和公園、中心部、南部を結んでいて、運賃は距離に関係なく安い均一料金です。
原爆資料館と平和公園は、多くの人が長崎を訪れる理由です。見るのはつらく、それでも欠かせない場所です。資料館は8月9日の出来事を、遺品と写真と被爆者の証言で伝え、爆心地を見下ろす丘の上の平和公園には、大きな平和祈念像が座っています。午前を充てて、午後は軽めにしておいてください。
長崎の料理は、この港を行き交った交易から生まれました。中国、ポルトガル、オランダの影響が、3世紀をかけて土地の料理になったのです。名物の麺料理は中国人の料理店主が考え出し、カステラはポルトガルから伝わり、卓袱料理は和食と中華と洋食を1つの円卓に並べました。
麺なら中華街、カステラなら老舗の菓子店、それ以外は中心部の飲食店へ。港があるので、魚も九州で指折りの質です。
長崎は、港が運んできたものを食べています。中国からの留学生のために考え出された麺料理、ポルトガルから来たカステラ、そして3つの料理を1皿にまとめた一品。麺は中華街で、カステラは何世紀も作り続けてきた店で、残りは地元の人が並ぶ店で食べてください。
この街が生んだ麺料理
豚骨と鶏ガラでとった濃厚な白いスープに太い麺を入れ、炒めた豚肉と魚介と野菜をたっぷりのせます。19世紀の終わりに中国人の料理店主が、中国からの留学生に安く腹いっぱい食べさせるために考え出したもので、以来この街の看板料理です。中華街で頼んでください。1杯で1食分になります。
Wikidataで確かめる同じ料理を、パリパリで
ちゃんぽんと同じ豚肉と魚介と野菜のあんを、揚げた麺の上にかけたもの。麺は縁がパリパリで、食べるうちに柔らかくなっていきます。地元の人は、卓上のウスターソースをひと回しかけます。ちゃんぽんのある店ならたいてい出していて、どちらを選ぶかは土地の人どうしの論争の種です。
Wikidataで確かめるポルトガル伝来の菓子
卵と砂糖と小麦粉で作る、しっとりと目の詰まった生地を四角い枠で焼き、細長い棹で売ります。16世紀にポルトガルの商人とともに伝わり、いま売っている店のなかには、17世紀の初めに創業したところもあります。箱入りで買えば、数日もちます。
Wikidataで確かめる1皿に3つの料理
ピラフ、デミグラスソースをかけた豚カツ、スパゲッティを1枚の皿に盛った、20世紀の喫茶店の料理です。なぜトルコと呼ぶのかは誰にも分からず、トルコとはほとんど関係がありません。長崎の古い喫茶店のなじみの味で、ボリュームがあり、いかにもこの街らしい一皿です。
Wikidataで確かめる国内最古の中華街で過ごす夜
装飾を凝らした門の奥に、飲食店と商店の並ぶ短い通りが4本。かつて中国の商人たちが倉庫を構えた埋め立て地にあります。日本の三大中華街のなかでいちばん古く、いちばん小さな中華街です。夜に麺と点心を食べに来るか、中心部一帯が灯りに彩られるランタンフェスティバルの時期に。
Wikidataで確かめる3日を超える旅程や、長崎、福岡、雲仙、熊本を、そのあいだの列車ごとつなぐ旅程が、プレミアムの領分です。無料版は旅先1か所、3日までを扱います。